ぽるかの日記

ひとりごとです。

救いであるようにしか見えない

実際私は何にも知らなかった。結局誰かが死なないと変わらないのか。知る事も出来なかったのか。ずっとずっとずっとずっとこんな事ばかりじゃないか。戦えば骨を折り、黙れば居場所を失い、世間が忘れても執着は続き、疲弊する。不毛な世界で疲弊する。

きっとどこかに模範解答があってその通りにすれば良いという道標がある、が、それはとてもつまらないものであるからやってらんないよね

他人にどう思われてもいい人ばかりじゃないよ

他人にどう思われてもいい人は強い人だなんていう理論じゃなくて、ただ本当の自分を分かってくれる人がそばに居るからそう思える。野ブタ戸田恵梨香のメンタル設計でないとだめなんだよな。もし自分にそんな人がいなかったら?なんて、想像するだけで現世にとっととさよなら申したくなる。

死んでからあーだこーだ言われたってみんな考えたって検証したってもう死んでるんだからどうでもいい事だよね死んだ当人からしたら。かと言って、死んでも何も言われなかったり考えられなかったり検証されたりしないんなら、みんな知る事が出来なかったなら、それはそれで違うよな。だって死んでるんだから、大事なんだから、、だけどこれが悪かったとかこれのせいで死んだとかそんなのって本当かどうか分からないわけじゃん。そんな状態でみんな考えてますよこういう事しちゃいけませんよとかここぞとばかりな提言、問題提起、議論、帰着、、死が利用されている。死が無ければこんな議論生まれなかった。意義があったと言わざるを得ない、この状況、死は救いであるようにしか見えない。ぎりぎりのところで踏みとどまった人、耐えている人、戦っている人、強い人、、そういう人たちが現状をばからしく思ってしまわないかが非常に気がかりな今日この頃です。

どうするのが正しいんだろう。話題を見る度に感じるこの釈然としない思いを解消させるには、どうすればいいんだろう。どうなればいいんだろう。難しい、とても。少なくとも私の中での理想の回答はどこからも出ていないということ。