ぽるかの日記

ひとりごとです。

「美談にしてはいけない」と言う人たち

去年の夏

書きっぱなしで置き去りにされていた下書きがいたので、成仏させてあげたいと思います。夏と私と甲子園とこじらせ。

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一人で投げ抜きました、9人だけでずっと戦ってきました、15歳で親元を離れて暮らしてきました、スマホも禁止して毎日ひたすら練習してきました。異常だ。全て異常だから、凄いんじゃないか。自分がその歳の時には何をしていたんだろう、そんな事をつい考えてしまうような。自分には到底出来ないような事を成し遂げている。結果を出し、努力をしている学生の姿は、異常だからこそ尊い

「美談にしてはいけない」と言う人たち。一人で投げ抜いてきた、足が痛くても立ち続けてきた、毎日何時間も練習に打ち込んだ。これらは作り話ではなく事実だ。たかが未成年の学生のその人生に結びついた異常な事実。「普通」の私にはそれを見守ること、見せつけられることしかできない。たかが未成年の学生がその人生を賭けていて、その姿を100万人が見て、感動して、熱くなっている。こんな異常なことはない。

異常なことは無くすべきなのか。

酷使して才能を潰してしまうのか、壊してしまうのか、そう心配するのは真っ当な事だと思う。怪我をしてからでは遅い事だってある。後の野球人生を考えるなら...と思うのは分かる。分かるが、果たしてその「後の野球人生」が今頑張っている彼らにとって一番優先すべき事なのだろうか?もちろん今後の活躍を願うのがファンの心理。でもその過程で「たかが高校野球で...」という風に考えてはいないか。

...まだまだ将来がある、たかが高校野球で君の才能を潰されていいのか?投げさせられて、可哀想。本人は無理をしてしまうのだから、周りの大人がコントロールしてあげないといけない。...

もちろん休養日を含む日程の問題、猛暑の野外で開催することの問題など、運営側に改善の余地はある。そこに対して、もう少しどうにかならないのかという議論はなされるべきであると思う。だが、プレーヤーそのものに向けられる「〇〇すべきではない」「もっと△△すべきだ」という見解はどうだろう。先にも述べたが、今年は本当に何かと「美談にしてはいけない」という論調が見受けられた。しかし、多くの場合でそれは、彼らに対して余りにも無礼な外野の声でしかないのではないか?と私は思うのです。

少し話は逸れるけれど、美談にしてはだめだと諭す人を見る度に、私は「学校だけが社会じゃない」と、いじめに苦しむ子どもへよく向けられる言葉を思い出す。イヤなら行かない選択肢もあるし、社会は広いわけで、たかが学校で追い詰められることはないよという優しい言葉だ。だけど、こう言える人は完全に「学校」という世界を遠く離れた場所から俯瞰している人だ。実際にそうなのだが、いざ学生の立場とすれば、否応無く学校は現在属する「社会」の姿であり、簡単に逃げられるものではないのである。現在その立場にいる人にとってはそれが全てであるということがたくさんある。外から見れば非常に小さい世界でも、その渦中にいる人にとってはとても大きな世界だったりする。

何が言いたいかというと、それが「たかが」と言えるものかどうかというのは、外野からは分からないということだ。事実として客観視してみれば、正論としての答はあるかもしれない。けれど、正論が正しいかどうかは別の話である。正と悪は絶対的かもしれないが、正しさは相対的なのだと思う。

「美談にしてはいけない」と言う人は総じて、自分の価値観で物事を推し量りがちだ。自分のものさしで測り考え「たかが」と判断する。自分の世界からどれほど掛け離れていようとも、距離があろうとも、その縮尺などお構い無しに自分の手にあるものさしで測る。遠近感がズレているのだから、相応の気遣いのつもりでも、過剰なお節介になる。...という構図ではないだろうか。厄介なのは、それがその人の思いやりから生まれているということだ。正論なのだ。だからこそ、「善意の無関係な人たち」によって拡散されてしまって、手に負えないほど過剰になってしまう。

私は、スポーツなどの真剣勝負の場では、その戦いの中にいる者にしか分からない思い、覚悟、決意などがあると思っている。ある種の「聖域」だ。そんな神聖な場に、外野の人間が正論を持って臨もうだなんて、言語道断だ。異常かもしれないが、そこにどんなドラマがあるのか、外野は知る由もない。異常であることが悪なのか、判断するに至らぬ立場に過ぎない。だからこそ尊い。今年の甲子園はとびきり神聖に思われた。冷静な見地で以て正論で異常を正そうとするのは、その神聖さに対するある種の「畏怖」が欠落しているのではないか。つまり、野暮なのだ。自分とは違う遥かなステージにいるプレーヤー達に、自分の世界の常識を当てはめて、鬼の首を取ったように高らかに「異常だ」と声を上げ正そうとするなど、正論であっても不適切である。

私がそのうち、美談にしてはいけないという人たちの標的になるだろうと考えたもの。「このシーン、僅か3秒間を描くのに、12時間もかかりました。驚く程細かい所までペンが入っているんですよ」→12時間?違法労働。凄いですね、とか感心してないで、アニメ業界の過酷すぎる労働環境を見直すべきだ。過度なクオリティの追求により、アシスタントも休むことができない、非常にブラックな労働環境である。そもそも、今の時代、手描きなんておかしい。PC作業にして効率化すべき。わざわざ手間のかかる手段を使っていて「こんなに時間かけました」なんて、誇れるものでは無い。こだわり?それを許してきたから今の労働環境があるんだよ。慣れって怖いよ。社畜養成。こだわって時間をかけたなんてこと、美談にしてはいけない。

なーんちゃって事を本当に言い出しちゃう無粋な人たちは、少なからず居るのが実情で、善意の押し売りって怖いよな。あ、あと今思ったけど「無粋」っていい言葉だな。善とか悪とかそんなんじゃなくて、正論とか間違いとかそんなんでもなくて、粋かどうかって事は最上のスタンダードなんだよな。無粋な人たちが増えたっていう話があって「確かにそうかもな」って思った。